設計処 草庵 設計処草庵は、気候風土に根差した日本建築を現代の生活様式にアレンジした建築デザイン設計を行っている一級建築士事務所です。 93年以降自然健康住宅の先駆的草分けとして講演活動等も行っております。 代表の建築家・中原賢二は、特定非営利活動法人「社の極」の理事長であり、伝統的な素材や技術・文化・芸術への造詣も深く、地相・家相・風水に精通しており、要望があれば古式に則った地鎮祭や上棟祭を行うことが出来ます。
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「麻」
「手漉き和紙の作り方」
日本が世界に誇る 伝統的素材  手漉き和紙
 中原賢二が理事長を努めるNPO法人「社の極」では、人は自然の一部であり、自然と共生する器であるというコンセプトの基に、日本の気候・風土にあった日本古来の「木・土・紙の文化」を原点とした建築の研究を推し進めています。
 今回はその原点の一つである紙/和紙についてご紹介します。

<和紙の歴史>

  和紙は「わがみ」ともいわれて、日本で造られる手漉き紙のことを言います。大陸より伝来した製紙技術は日本の風土に根を下ろし、日々の暮らしに深く関わ り、日本独自の和紙文化の華を咲かせました。平安時代には、華麗な装飾紙が王朝文化を一層華やかに彩り、鎌倉・室町時代には上部でしなやかな和紙は暮らし の中に浸透し、書面以外の様々な用途に広がっていきました。江戸時代には、紙帳(紙製の蚊帳)や(古代よりあった)紙衣・紙布が、各地でさかんに生産され るようになったりと、日常生活の必需品となった和紙の商取引は、米・木材に次ぐ量となりました。
 明治以降、洋紙の流行により和紙は暮らしの中で儀礼的又は趣味的な使用に押しやられ、隆盛を極めた手漉き業も衰退の一途を辿りつつありました。
 しかし近年再び和紙の伝統的技法が見直されるようになってきました。その要因は和紙は強靭な靭皮繊維を、手仕事で丹念に紙に仕上げる為、繊維の本質が失われず、保存の仕方によっては千数百年間保存が可能であるということが正倉院の宝物の紙によって実証されています。
 文化財の修復に、伝統的な手漉き和紙は欠かせないものですが、日本の高度な修復技術と共に和紙の働きが海外の文化財修復にも生かされています。
 そして、世界中で日本人程多くの紙を暮らしに取り入れている民族はないと言われており、繊細な美意識を働かせて漉かれた紙は、それ自身立派な芸術品の風格を備え、記録のための紙が豊かなことは、国民の知的水準を高めることに役立ちました。


<和紙の材料>

楮(こうぞ)  クワ科の落葉樹
  繊維は太く長いので、強度を要求される障子紙・表具用紙・記録用紙・書面用紙に使用。

三椏(みつまた)  ジンチョウゲ科の落葉低木
  繊維は細く短く光沢があり、繊細な透かし模様を入れることが可能。

雁皮(がんぴ)  ジンチョウゲ科の落葉低木
  生長が遅いので、野生のものを採取して使用。繊維は三椏に似ている。
  謄写版原紙用紙・銅版画用紙・日本画用紙・箔打紙・古くは写経用紙に使用。

麻(あさ)  クワ科の一年生草木。
  製紙原料として最も古くから使用。
  繊維は細く長く、独特の風合いの紙肌となるので、日本画用紙・書道用紙等に使用。

この他の材料として竹・稲藁などもある。

<優れた内装材としての和紙>
 
 
奈良時代には貴族の邸でも襖や明かり障子はなく、紙は書写用の為のもので、大変貴重なも
のでありました。

  平安時代に入って、上流貴人の邸宅として寝殿造りが確立すると、大陸文化の影響をうけて屏風や衝立・几帳等移動の出来る臨時的な間仕切りが発生し、又可動 仕切壁ともいうべき襖やはめころしの建具壁ともいうべき紙貼りの張り付け壁なども生まれ、そして今日の障子に相当する明かり障子も考え出されました。
 こうして空間を伸縮自在に使う日本独自(引き戸)の建具形式が確立されたのです。

  鎌倉・室町時代、畳が床全体に敷き詰められるようになると、襖がさらに重要となり同時に外周り建具の主流であった板戸に併設又はそれに代わり障子がますま す普及し、書院造りの様式が完成しました。このように、今日のガラスや合板に相当する耐久力をもった日本独特の襖や障子等の紙の建具が発展普及しました。

 安土・桃山時代には、豪壮な城郭建築が造営され大広間の書院には日本を代表する絵師達の障壁画の傑作が生まれ、襖絵の黄金時代はその頂点に達しました。
 襖絵とは、一面が大きな絵図そのものであり部屋の用途や間取りに応じて二面三面と横へ横へと連続して、全体として巨大な障壁画を形成していくものです。
 つまり、襖とは室内装飾の為の絵画そのものであり、その美術品を表装する為の塗師や飾師の細工が施される等、巨大な装飾絵画をそのまま建具化した日本人の独創的な建具といってよいと思います。
利休の頃、書院造りから独立した茶室が完成し、障壁画とは対照的に無装飾で清楚な美しさを追求した襖が「侘び・寂」演出しました。
 そして茶室の障子・土壁の腰貼り等には、床の間の掛軸や茶花の鑑賞の妨げにならぬよう、脇役に徹した奥ゆかしい美しさがあり、それは今日の数奇屋建築の基本的なデザインポリシーとなり発展していきました。



 江戸中期には一般庶民の住居にも畳や襖・障子が普及し、中でも畳と一体の襖に対して、障子は畳の普及とは関係なく外周りの建具の採光の必要性から民家に採用されていき、冬の農閑期の副業として様々な地方で作られた障子紙や小判襖紙が中央の市場に出回る様になりました。

 明治時代に入ると、一枚貼り襖紙が誕生し全国的に流通始め、小判襖紙は完全に姿を消すことになります。
 障子については、ガラス戸が発生普及し建具の中でも重要となってきます。そして、それまで外周り建具であった障子は次第にその役目をガラス戸の内側に建てられる内周りの建具となっていき、障子の形式も腰板付き障子から腰板のない水腰障子へと代わっていきました。
  昭和三十年代頃まではガラス戸は一般庶民にとっては高価なもので外周り障子も存在しましたが、昭和四十年代に入るとアルミサッシのガラス戸が急速に普及 し、障子はサッシの内側を飾るカーテン的な建具と化し、それに従いたった一枚で外気の侵入を防いできた丈夫な手漉きの障子紙は大半姿を消し、高級な障子紙 として僅かに美濃・内山・土佐の手漉き障子紙が残るのみとなってしまいました。

 襖紙については、昭和十年代に越前でパルプによる機械漉き新鳥の子襖紙が開発されるや、手漉き本鳥の子襖紙の需要も次第に減少しました。
 特に昭和四十年代の住宅新築ブーム時代には、故紙原料を主とした機械漉きが主流となり、手漉き襖紙は全体の一〜二%のみの高級襖紙となりました。

 このように、和紙は優れた内装材として襖や障子の長い歴史と共に、日本人の暮らしに密着してきましたが、近年では石油化学系の内装材や新建材が普及し、手漉き和紙の内装材としての役割は薄れてきました。

  しかし石油科学系物質の人体に与える影響やダイオキシン問題等が表面化した今日、植物繊維でできた呼吸する自然素材「和紙」が再び注目されるようになって きました。室内の湿度調整をし保温断熱効果を発揮する和紙。障子を透して差し込んでくる外光は、穏やかな光となって室内に拡散し、襖紙は光を柔らかに吸収 し部屋全体に温和な表情を創り出します。
<和紙を現代空間に生かす>

 和紙を素材とし、特性を生かした新しい造形芸術の創作がさかんに行われるようになってきました。
 それは空間デザインの分野でも同様であり、内装材の障子や襖の見直しと共に、手軽に取り入れられる和紙のインテリアが空間の脇役として活躍しています。

 和紙でつくったタペストリーや照明器具は、光を通すとさらに美しく、繊維を光が透かしてより一層柔らかな雰囲気を醸しだしてくれます。
 屏風は、最も軽い移動式の「壁」であり、間仕切りや目隠しとして使えば、他の家具よりも部屋に広がりを感じさせてくれますし、床の間のように屏風の前に花を置けば、日常の空間が改まった空間へと変化します。

 又、テーブルコーディネートに和紙を使用(例えばランチョンマット)することにより、洋食のメニューであっても、和紙のもたらす柔らかみにより、くつろぎの空間を演出することが出来ます。

 今こそ、光と影をうまく調和させ生活の中に取り入れていった先人達の知恵を、伝統を、現代空間に生かしていく時ではないでしょうか?

                                                 



                                  
参考資料: 朝日新聞社「和紙事典」
イラスト: 吉川佳子
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